みなさんお疲れ様です、きえです。
「自分はただ幸せになりたいだけなのに」
「こんなことやりたく無いのに」
「こんなことに時間を費やすかわりにあんなことをしたい」
なんて思うことはありませんか。
目次
自分ウォンツを叶える力はある
赤ちゃんを想像してみてください。
とにかく自分の生存のことだけに一生を捧げていますよね。
お腹が空けば泣き、オムツが汚れて気持ち悪ければ泣き、抱っこして愛情を注いでもらいたければ泣き。
完全に大人に依存はしているものの、自分のニーズは満たしてもらえるまでギャン泣きスタイル。
みんなが人生で必ず通ってきた道です。
生きてるうちに抱え過ぎた他人のウォンツ
そんな自己中で自分のニーズ以外視野にも入らなかった私たち。成長するに連れて、生きるに連れて、ここがダメだ、そうだから君は愛され無いんだ、愛されたいならこうしなきゃだめ。
どんどん他人の理想が自分に課せられていく。
他人が理想としていること、正しいと思っていること、に身を捧げ続け、自分オリジナルの価値観や気持はいずこやら。
気が付けば他責人間に
ただただ愛されたい、認められたい、受け入れられたい、を必死に追うと、他人に答えを求めるようになる。
「あなたに受け入れられるには私は何をしたらいいですか?」
とでも問うかのように。
他人の言うことを道標として生き、自分が本来だったらしたく無いようなことも、「これが大人として生きることだ」と自分に言い聞かせ、愛されるためにならなんだってする。
指示がないと動けない、親が言ってきたことを守ってきた、言われた通りに生きてきたのに、なんで私は幸せじゃないのよ。
自分を保つより失う方が楽
何も最初から皆、この生き方を自ら望んで選択してきたわけじゃない。
自分を保つよりも失って周りの言うがままに生きること以外の生き延び方を知らなかったからだ。
親がそう生きてきたなら尚更。個性は殺してでも社会に受け入れられるべきだ、というテンプレートが染み付いている大人から教われることとすれば、他者ウケが良いマネキンのように生きることくらいだろう。
他人頼りが問題なんじゃない
周りにどう生きればいいか教わり、周りに答えを求め、うまくいかなければ他人に責任を見出す。
悪いことのように聞こえるかもしれない。無責任で、大人気ない?
私はそうは思わない。
私には
自分の価値観で生きていくに値するほど価値のある人間じゃない
というように聞こえる。
言われたように、求められたように生きなきゃ自分には価値がない。
問題なのは他人に頼ることじゃない。覚悟の無さでもない。
自らに対する価値観の薄さだ。
悩むことは人生のチャンス
自己価値が無ければ、やる気も出ない。何かを手にしようとする意欲も出ない。自分には無理だ、自分には良すぎる話だ、など。
でも悩んでいる、苦しんでいる、ということはどこかで自分は変わりたい!もっと良い人生を送りたい!という気持ちがあるから。
変わって幸せな人生を送るに値する人間なんだって気持ちは、長い間忘れてしまっていただけで、ちゃんと心の奥底にある。だからこそ悩むのだ。
悩むことは言ってみれば幸せなのだ。悩む、というサインを通して、「何か違う、何か変わらなきゃダメだ」と教えてくれているからだ。
本当に考えるべきこと
今までの自分はこれをしてもあれをしても受け入れられなかった。次は何をしたら本当に受け入れてもらえるだろうか!!
で悩む人がたくさんいると思う。
でも本当に考えるべきことは、
「どうして自分を犠牲にしてまでして他人に受け入れてもらわなければいけないのか」
なのではないか。